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2011年3月11日 東日本大震災 私の一日 [出来事]

まず、被災された方に、心からお見舞い申し上げます。
個人の記録として残したいので、軽く思われるかもしれませんが許してください。

【その瞬間】
 休憩室で看護婦さんと2人で休憩中。
 看護婦さん(以後K)「やだ、地震」
 私 「え?」(立っていたのですぐ気づかず)
 K 「揺れてる、揺れてる」
 K 「やだやだ、怖い怖い!!」
 なんかゴーッという音とともに私も気づく。
 ガタガタガタガタ…
 建物のきしむ音。
 階下で患者さんたちが「キャー」
 K 「怖い怖い」
 看護婦さん、階下に走り降りる。

 私はサンダルからジョギングシューズに履き替え、
 手にはバッグを持って階段を降りようとした。
 そのとき、
 階段上にたてかけていた長テーブルがグラッと階段に向かって倒れようとしていた。
 あわてて抑える。

 揺れはさらにひどくなる。
 いや、そこからひどくなった。
 音もすごくなる。ガタガタガタガタ
 長く続いた。(と思う)
 階下から院長が「大丈夫、大丈夫、みんな落ち着いて」
 K「早く降りておいで~」
 私「テーブル抑えているから、無理です」
 
 やっと収まったので階下に。
 階下では、院長のそばに患者さんと看護婦さん。
 ジョギングシューズに履き替えバッグを持った私を見て、
 唖然とされた。

 あとで知った5強。
 でも、実感として、こんなものかなって。
 あのテーブルが階段に向かって倒れ落ちたら、
 やっぱり怖かったってなるかなとは思ったけど。

 震源地が遠かったから、本揺れが来るまでに余裕があったのかな。
 靴を履き替えて、バッグをロッカーから出す余裕はあった。

【帰宅難民】
 診療所なので、7時まで患者さんを待つことに。
 でも、結局6時45分で「帰っていいよ」と言われ帰宅。
 秦野市から通っている後輩は、先に出た。
 患者さんから私鉄は全部止まっているという情報をもらっていたし、
 そうでなくても小田急は真っ先に止まるので驚かず。
 経堂駅は、タクシー待ち、バス待ち、公衆電話待ちの人たちでごった返していた。
 それに比べて、駅構内は閑散と。
 迷わず走って帰ると決め込む。

 小田急線沿いには歩いて帰宅する人たちがたくさん。
 でも、成城学園過ぎたところからまばらに。
 そうなのだ、ここ、線路から離れないといけないんだよね。
 みんな、わからないのかも。

 狛江あたりから、また人が増える。
 和泉多摩川で、世田谷街道に出たら、本当に人だらけ。
 車は全然動かず。
 それもそうだ。東京から神奈川に渡れるのは、世田谷街道と246だけ。
 あとから聞いた話、246もすごかったらしい。

 携帯がつながらないと、これまた患者さんたちから情報をもらっていたので、
 私から誰にもかけなかったけど、
 とーちゃんから電話が入った。
 auの携帯は使えないから、会社のドコモの電話から。
 (とーちゃんは2台持っている)

 長女、代々木上原を歩いているとのこと、
 次女ととーちゃんは神田で合流できて、いま永田橋だって。

 まったく動かない車を横目に、
 たくさんの人たちと一緒に水道橋を渡る。
 チャリはスイスイ追い越していく。
 あとから聞いた話、自転車屋さんはバカ売れだったって。
 タクシーに何万も使うなら、安いチャリ買ったほうがいいな、たしかに。
 
 無事帰宅。

 帰宅後、テレビをつけて、被災地のあまりのひどさに絶句。
 こんなすごいことになっていたとは。

 川崎が停電だったってことも、あとから知った。

 後輩から10時手前に電話。
 「まだ、経堂なんです~」
 「何してたの? なんでまた」
 私を探したらしいけど、見つからず、
 電話もいっさい通じなくて、どうしていいかわからなかったって。
 半べそ。
 診療所に戻ったほうがいいよと伝える。
 結局、妹さんに連絡がとれて迎えに来てもらったらしい。

 家族全員が帰ってきたのは、深夜1時過ぎ。
 と~ちゃんと次女は、途中で動き出した小田急に
 梅が丘から乗れたらしい。

 この日は、結婚する長女が家にいる最後の日。
 (結婚式は4/2)
 みんなで食事に行く予定だった。
 まさか、みんなの帰宅を1時過ぎまで待つことになるとは。

 テレビでは、ますますひどくなる被災地に様子や、
 あらたに投稿されたビデオ画像が。
 揺れよりも、津波の被害がすごかったこと、
 そしてあらたに原発の放射能漏れの恐怖。 
 とんでもないことになっている。

 4人そろって無事だったこと、
 ライフラインは大丈夫なこと、
 おうちも、ひとつの棚だけがあっちむいてホイッ状態だけで済んだこと、
 感謝しないとと思う。

【今回の教訓】
 ・災害ダイヤルを家族で徹底する
  「171+1+自宅番号」で録音
  「171+2+自宅番号」で再生
  我が家はと~ちゃんのドコモで連絡とれたからよかった。
  私のauからとーちゃんのドコモにはつながらず。

 ・携帯用笛とライトは持参したほうがいい
 ・地図持参、もしくは、車、電車以外の帰宅ルートを確認しておく
  (私は帰宅ランで平気だったけど、ほかの家族はみんな途中で迷った)
 ・やっぱり自転車
 ・いつどこで被災しても大丈夫なように、脚は鍛えておく 
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やっとカメラ、買いました [出来事]

カメラのレンズに謎の染みが出るようになってから、2年ぐらい経ったかなぁ。
新しいカメラを買おう買おうと思っていたら、
パソコンが壊れたり、いろいろあって、
ずっと染み付きレンズのままで我慢。
ブログにアップするときは、うまく切り取ったりしてごまかしていた。

久々に写真を撮りました。

1103s.jpg

あまりに久々で、いろいろなこと忘れていたよ。
撮影のときに解像度、気をつけないと、ファイルが大きくなりすぎて
そのままブログにはアップできないとか…。

カメラの操作も、前カメラの上位機種にしただけなのに、
かなり変わっていて。

いま、パソコンのOSが変わったときみたいに????状態で四苦八苦してます。

これ、アップするのに、かなり時間を使っちゃった。
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無事、終わりました [出来事]

昨日、白内障の手術が終わった。

やはり、緊張した。

一番、怖かったのは、
顔に、右目のところに穴のある不織布をかぶせられて、
上下のまぶたを器械で固定されたとき。

そのあとは、院長に言われるまま
右みたり、左みたり。

「はい、そこで止まって」

一つのライトをずっとみることに。

「痛いですよ~」
痛かったのは、目ではなくて、手の甲。
なにやら注射を打たれた。
これ、まじ、痛かった。

黄色く見えていたライトが赤くなる。
(あ、今、きっとメスが入ったんだ…)

突然、ライトがぼやける。
(きっと、いま、水晶体を抜いたのね)

なにやらレンズらしきものが目に入ったなと思ったら、
ライトがまた、はっきり見えてきた。

と思うや、もう手術、終わり。

そんな、感じ。

術後は、やけに目が染みる。
ひょっとして、失敗の何パーセントの中に入った?ってぐらい、
心配になる。

処方された薬をのんだら和らいで、
今朝は、眼帯している以外は、いつもと同じ。

術前も目薬をさしたが、
術後も3種類の目薬をさすみたい。

さて、眼帯が外れたら、どんな景色のなるのかな。

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白内障になった [出来事]

13日手術。
この年でなんて、ショック。
術後、1ヶ月、汗かくようなスポーツ禁止。
(当然、水泳も)

ただ、ついでに乱視矯正されるらしい。
そこだけが救いかな。
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収穫 1個目 [出来事]

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一応、家族に「食べる?」と聞いてみる。
「かわいいね~。でも、要らない」

どうやら、毒見って思われたよう。

いろいろな角度から、眺めて、
そして、パクリ♪

おいしかったよ~(^^)

この苗、転職活動中の職安の帰りに買ったんだよな。
一緒に買った、忘れな草、ラベンダーも満開。
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強風、そして荒川マラソン中止 [出来事]

本当はきょうは「ランニング」のカテゴリーで荒川マラソンのことを書くつもりだったのに、
2010年の荒川マラソンは、強風のため、中止になった。

いやぁ~、夜半から未明にかけて、すごい風だった。
高層階の我が家は、ビル風も加わって、とんでもないことに。
物干し竿、落ちた…。
幸い、ベランダ側に落ちたからよかったけど…。

朝になったら、晴れた。
こりゃ、荒川に行く準備しなくちゃと携帯を見たら、
メールが4件。
荒川中止の連絡だった。

ありがと~。あやうく出ちゃうところだった。

なら、晴れたところを写しておこうかと思ったのがこれ。7時14分
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やれやれと思ってコーヒー飲んでいたら、
急に暗くなる。7時24分
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そして20分後の天気がこれ
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結局、その後は晴れたので、
お墓参りしてきました。

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とーちゃん、痛風5日目の脚 [出来事]

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いや~、まるでカバのぬいぐるみのアンヨみたい。
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とーちゃん、痛風 [出来事]

月曜の朝 
「ん? なんか変」

火曜の朝
「脚をつくと痛い気が…」

火曜の夜
「痛いよ~」

水曜の朝
「絶対脚を踏んだだろう!」
…って言っていたと思いきや、
「ギャーッ」

とーちゃん、歩けませんでした。
しかも触るな、動くな、うるさいうるさい。

しかし、それだけ痛かったようで、
あの痛がり方は、尋常じゃなかった。

結局、痛風だったんだけど、
前回(11年前)の発作のときには、
もっと突然だったし、
なのに今回は、月曜からの違和感から始まって、
しかも日曜は走ったので、
整形のほうの問題か、痛風なのか、本当にわからなかった。

正直、整形のほうだったら、困るなと。
せっかくここまで走れるようになったのに、
これでやっぱりやめたってなったらさ~。

微熱もある。
捻挫していないのに、
みるみるくるぶしが腫れ上がってきた。

これは完全に痛風だ、整形じゃない!

すぐ接骨院の先生に電話。
松葉杖を借りなくては、部屋の中を動けない。

そしたら、なんと、
杖持っていくついでに、提携しているクリニックに連れていってくれると。

先生の車に乗せてもらって、クリニックで血液検査とレントゲン。

翌日の木曜、痛風との診断が下りました。

頓服薬もらったり、接骨院の先生の処置もあって、
改善に向かっているものの、
この3日間、まともに歩けず、会社も休むことに。

ところがきょうになって、急に痛みがひきはじめたようで、
とりあえずケンケンで移動できるようになりました。

(階下の方は、うるさいだろうな、ごめんなさい)

痛風、かなり痛いみたいですね。
それも男性に多いみたいで。
出産とどちらが痛いんだろう。
本当にかわいそうなぐらいの痛がり方でした。

落ち着いたので、やっと報告がてらブログに書けた。
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デフレ… [出来事]

デフレという言葉は、たしか小学校の先生に教わった気がする。
なにもかも安くなるのっていいな~って、本気で思った。

その後、第二次石油ショックがきて、それなりに不景気になったかと思いきや、
今度はどんどんインフレが加速して、
気がつくと、普通のサラリーマンの給与で手が届くであろうマイホームの金額を
はるかに越えそうな勢いで、
土地やマンション等あがり始めた。

某所の3DKなのに60平米もないようなマンションが、
3800万円ぐらいで売り出されて、その抽選のために長蛇の列ができたり。

とにかく預金すると7年もすれば元金が1.5倍になるぐらいの高金利時代で、
私も、ささやかな金額をあっちに動かしたり、こっちに動かしたりしていた。

当然、いつも変動金利が低め、固定金利が高めの設定だった。

住宅金融公庫が、わりかた低い金利で固定金利で30年借りられるので、
住宅金融公庫対象物件かどうかというのが、
購入するしないを決める大きなポイントだったのを覚えている。

ところがある日、銀行にいったら、
固定金利と変動金利の利率が逆転していた。
初めは目を疑った。
でも明らかに固定金利のほうが低く、変動金利が高くなっていた。

その直後だったのか、直前だったのか忘れたけど、
バブルがはじけた。

なにもかも安くなった。
ジーンズなんて、1000円でおつりがくる時代になった。
パソコン、デジタルカメラ等の価格の下がりようはすごい。
驚くのは、高嶺の花だった、液晶やプラズマのテレビ。
30型ぐらいだったら、10万円あれば十分。
その倍を出せば、ブルーレイだの、HDD内蔵だの…。

何もかも安くなった。
なのに、世の中不景気だ。
我が家も右へならえ状態。

安くなったのは、物だけではなかった。
金利も給与も…

デフレは夢の現象ではなかった。
インフレより、ずっとずっと深刻。
なにが深刻って、みんなが夢をみられない。

がんばれば報われる、その図式が崩れた。
それどころか、自分の仕事がなくなるかもしれないという不安さえ抱かされる。

本当はデフレこそ、いい人材の確保、
設備投資に絶好の機会はないのに、
安いけどみんな動かせるお金がない。

大学出の若い男の子が、就職できずにあふれている。
昔は、欲しくても欲しくても、大手以外はなかなか手に入れることの
できなかった人材さえ、就職できない。

動きがとまってしまった。
みんなが守りに入った。

なにもかも安くなったのに、なんで食べ物だけは安くならない?
ラーメンは、昔のほうが安かった。
いまじゃ、1000円越えるラーメンもたくさんある。

安いものと、高いもののバランスが変わってきている。

日本は、おいしいおコメが作れるのに、
それでも輸入しなくちゃいけないの?
ブランドとして売りに出すことはできないの?

減反なんか反対!
ただでさえ自給自足できないのに、
いったい何をやっているんだろう。

これからは日本だって農業を目ざしていいと思う。
今までがおかしかったのでは?
あまりにホワイトカラーの比率が高くなりすぎだし、
ホワイトカラーに比べて、現場の仕事をしている人たちが薄給すぎる。

漠然と何か変だ、なんとかしなくちゃいけないと思いつつ、
何もできないし、わからない。

そんなとき「ラストサムライ」を見た。
あのときも、日本は何かを失った瞬間だったなと。
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